新入部員春菜 第1話 旅立ち
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春菜にとって、今まで生きてきた中で一番悲しい出来事..そ
れは、今年の春にたった一人の母親が亡くなったことだった。
その日の事は今でも昨日の事にように鮮やかに思い出せる。
高校1年の春菜は、火葬場の空に立ち昇る煙を見ながら、ぽつん
と一人で母を見送った。母一人子一人の2人きりの家族だった。
母娘..と言うより、互いが分身のような存在だった。
ものごころついた時から、2人きりで生きて来たからだと思う。
春菜は父親を知らない。ずっと昔に亡くなったのだと母親からは
聞かされていた。
昔から..そして今も..きっとこれからも..ずっと..ずっ
と..「父親」を持つ事は無いのだろう。
小さい頃の春菜は、「本当のパパは、どこかに生きているんじゃ
無いか」と考えたこともあった。
でも、今は生別でも死別でも、父親はいないものと考えるように
していた。と、言うより父親の事を考えないようにしていた。
春菜には、「父親」と言うものの記憶が無い。物心ついた頃には、
既に家にいなかったのだ。だから、父親と遊んだり、可愛がって
貰った覚えも当然無かった。
そんな人..もし仮に生きていたとしても、会いたいとは思わな
い。他人以外の何者でも無い。..だって、「父親」と言う認識
が全く無いのだから、会っても仕方がないじゃない..と、思う。
「私が春菜のお父さんだよ..」と言う人が、今現れたとしても、
たぶん何の感慨も湧かないと思う..そう思っている。
だから、不思議と父親を欲しいとは思わなかった。
ただ、春菜の母親がずっと一人でいたわけでは無い。母親には、
夫に代わる「恋人」がいたことは確かだった。
いや、「いた」と思う。
母は「旧いただのお友達に会うだけよ。」と言っていた。でも、
今でも春菜は「違う」と思っている。
月に一度、第2土曜日になると、「お友達の所へ行って来るから
と、朝からめかしこんで出かけては夜に帰って来る。小学校も高
学年になると、家事一通りはこなせるようになる。春菜が一人で
いられるようになってからは、外泊することもあった。
だからと言って、浮かれて出かけるそぶりは無かった。帰ってき
てはしゃいでいる様子も無い。恋人についてノロけるようなこと
も無かった。それでも毎月必ずその日になると、母は美しく着飾
って出かけ、日曜日には必ず帰って来た。
これは春菜の勝手な想像だが、もしかすると、相手は妻子の居る
人だったのかもしれない。
だから決して結ばれる事の無い逢瀬に身を焦がし..明るく振る
舞う事が出来なかったのかもしれない。
思春期独特の潔癖さから、そんな母親を白い目で見る時期もあっ
た。なじりもした。喧嘩もした。でも、春菜自身のこころの成長
とともに、春菜は母親を許せるようになっていた。
母には母の「女」としての人生があったんだから、それは認めて
あげたいと思えるようになっていた。
しかし本当に母親に「恋人」はいたのだろうか?
春菜には確証が無かった。あたりを憚ってか、母が男を家に引き
入れた事は無かった。だから、春菜は母の恋人を見たことが無い。
写真を飾ったりするような母では無かったから、物証になるよう
なものは何も無かった。葬式の時には何人も母の親戚やら、仕事
の同僚と名乗る人達が弔問に訪れた。だが、春菜には殆ど誰が誰
だかわからなかった。
もしかすると、その中に母の「恋人」がいたかも知れない。だが、
弔問客の中でそれを名乗る男もそれらしき男もいなかったし..
もしかすると、本当は母が言っていたように、単なる友達と温泉
に行っていただけかもしれなかった。
だが、真実を語ってくれる母はもういない。
アパートは賃貸だったが、大家さんはこのまま住み続けても構わ
ないと言ってくれていた。
生命保険から年金がおりるようになっていたから、贅沢さえしな
ければ高校を続けて、生活も出来るくらいの収入はあった。
母が働いていたから、家事も一通りはこなす。一人暮らしでも不
自由はしなかった。
今春は高校2年生、16才と言えば、立派に自活できる年である。
このままずっと一人で暮らし、生きて行こう。
..そう思っていた。
だが、その運命を1通の手紙が変えた。
「初めてお便り申し上げます。私は貴女のお母様に大変お世話に
なった者です。故あって名乗ることはできませんが、お母様より
貴女の今後のことにつき、託されました。よろしければ、聖カタ
リナ学院へおいでになりませんか?全寮制で、日用品はこちらで
一通り準備しますから、カバン一つでおいで頂ければ日々の生活
には不自由しませんし、お母様の思いでの残るアパートでずっと
泣いて暮らすより、若い貴女には新天地で再出発して頂いた方が
良いと思うのです。貴女のおいでを心よりお待ちしています。
あなたのあしながおじさんより」
聖カタリナ..お金持ちの多いことで知られている私立高校じゃ
ない..。入学だって凄い寄付金積まないと許されないと言う。
入学だって難しいのに、ましてや転入なんて..。
そんなところから..なぜ?..
あしながおじさん..一体誰かしら?春菜は手紙の主に対し大変
興味を持った。
もしかすると、ずっとずっと謎だった母の恋人かもしれない..。
だとすると、会って、確かめて見なければ..
そう考えると春菜は矢もたても堪らなくなった。
聖カタリナの新学期が始まった朝、伝統を感じさせる青銅製の門
の前に立った春菜の姿があった。昨日の電話で、何者かによって、
転入の手続きが既に完了していることも知った。勿論、学園の担
当者は、それが誰だかは教えてくれなかった。
ともあれ、春菜の行動は全て相手に読まれていたことになる。
「あしながおじさん..あなたは一体誰なんですか。ともかく、
あなたの言う通り、春菜は今日から、ここの生徒になります..。」
その日、春菜は希望を胸一杯に膨らませて、聖カタリナの門をく
ぐった。
「今日から我が校に転入してきた美崎春菜さんです。皆さんよろ
しく。」教壇に立った担任の男性教師から紹介され、春菜はぺこ
りと頭を下げた。
..転校生だって..この学校で..しかも2学期からの編入な
んて..珍しいこともあるものよね..一瞬、席がざわめいた。。
「美崎春菜です。都立S高から転校して参りました。早くクラス
と学校に馴れたいと思いますので、よろしくおねがい致します。」
「美崎の世話は..そうだな、クラス委員の瀬川に頼む。席も瀬
川の隣に座ってくれ。瀬川、そう言うことだ。転校生のこと、よ
ろしく頼むな。」
「はい。」最前列に座っていたロングヘアの少女が立ち上がって
春菜に右手を差し出した。
「瀬川真奈美よ、よろしく。わからない事があったら何でも聞い
てね。」
「ありがとう、よろしくね。」春菜は真奈美から差し出された手
を力強く握り返した。
「..今いるこの建物が1号館、1階が職員室や視聴覚教室、パ
ソコン実習室で、2階には私たち2年生の5クラスが入っている
わ。連絡通路を渡って、2号館の1階が1年生、2階が3年生の
教室よ。反対側の3号館は主に体育関係の施設で、地下がプール、
1階はアスレチックジム、2階が体育館になっているの。私たち
が住んでいる寮はグラウンドの反対側ね。」
2時間目が終わった後の中休み、春菜は真奈美に連れられて校内
を案内されていた。
「それにしても、さすがハイソの人達が通う学校よね。キレイだ
し、セントラルヒーティングやエアコンだって付いてるし..」
「そうね..ここ2〜3年の工事費だけでも100億は下らない
んじゃないかしら。」
「この不況なのに凄いわね。寄付金だって大変だし..やっぱ、
お金持ちの学校はすごいわー。」
「そんな事無いわよ。私の家だって、お父さんはサラリーマンだ
し..。この不況で寄付だってあまり集まらないらしいの..」
「じゃあ、どうやって..」
「3年前に就任された理事長が凄いヤリ手なの。元々お金持ちの
ちの行く学校だったから、きれいではあったけど、何かここまで
来ると、「嫌み・悪趣味」通り越して「凄み」だわね。」
「何やってる人なの。まさかアブナイ仕事だとか..」
「それが誰も知らないのよ。ただ..」
「ただ..なあに?」
「エリート主義であることは間違いなさそうね。」
「どうして?」
「だって、理事長が就任してから、うちの進学レベル、凄く上が
ったじゃない?それに「聖カタリナ宮殿」なんて作っちゃってさ
あ。」
「『聖カタリナ宮殿』?それって何?」
「スポーツや学力成績な優秀な人だけを特別に集めた寮よ。一般
の生徒は立ち入り禁止だから、中はどうなってるかわからないん
だけど、凄く豪華な設備だって噂なの。正式には『聖カタリナ第
2寮』って名称なんだけど、我々一般生徒はやっかみ半分『宮殿』
って呼んでるのよ。」
「そこって一般生徒は入れないの?」
「入れるのは、学業優秀かスポーツ優秀な人だけ。お金が幾らあ
っても駄目。本当のエリートの為だけの施設なの。」
「でも、私達の入った『第1寮』だってマンション並だと思うけ
ど。」
「あれは『ワンルーム』マンション並でしょう?宮殿はケタが違
うらしいの。屋内プールやアスレチックジム、全室、バスにはジ
ャグジーだってついてるらしいわよ。」
「そんな所があるの?じゃあ、第1寮の人から不満が出るでしょ
う?」
「それが、第1寮はガラガラなのよ。だから、特に不満も無し。」
「どうして、だってうちの場合、全寮制でしょう?」
「ところが違うの。一般生徒の場合、一応全寮制ってことになっ
てるけど、寮の場合、門限なんか厳しいじゃない。だからそれを
嫌って、実質的に自宅通学って人が多いのよ。」
「そんなこと、出来るの?」
「それが出来ちゃうんだなー!これが。」
「どうやって?」
「お祖母ちゃんの介護だとか理由つけて、毎日外泊出許可貰うの
よ。もちろん、そんな奇特な人間なんて、実際にはいないわ。そ
ういう理由で外出して、渋谷あたりで遊んで、自宅には寝るだけ
の為に帰るだけ。」
「じゃあ、瀬川さんも?」
「ううん。家は世田谷なんだけど、一応委員長だから..」
「立場上、規則は守らなきゃってこと?」
「そういうことね。美崎さんは?」
「私、お父さんもお母さんもいないから..。」春菜は淋しいそ
うに笑った。真奈美は、しまった..と言う顔をして、春菜の顔
を、のぞきこんだ。
「ごめーん。私、地雷踏んじゃった?」
「ううん。もう吹っ切れた。忘れてはいないけど、泣いてばかり
もいられないし..ね。」
「偉いなー美崎は!私なんか、お母さんいないと洗濯も料理も、
とてもてても..」
「そんなことないわよ。」
「いえいえご謙遜ご謙遜..」
真奈美と春菜は顔を見合わせて笑った。春菜の顔に笑顔が戻った
のを見て、真奈美はほっとした表情で言った。
「あたしたち、これからも仲良くなれそうね。『春菜』って呼ん
でいい?」
「もちろんよ。私も『真奈美』って呼んでいい?」
これからも宜しくね。」
キーンコーン..カーンコーン
聖カタリナ教会のチャペルが響くと同時に生徒達は教室に戻り始
めた。
「さっ..教室に戻ろう。」
「うん..。」
春菜の聖カタリナでの初日はこうしてスタートした。
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